その昔、昼間に暗闇が訪れる日食現象は、神の怒りだとか悪魔の仕業というように、あらゆる災いを告げる前兆として恐れられた。そこで、魔除けのために予知する努力が重ねられた。それが正確な暦につながり、天文学の進歩を促したともいわれている。インドでは、頭だけの悪魔「フフーフ」が太陽を飲み込んで日食が起きると語り継がれていた。古代中国でも、太陽が天の犬に食べられる出来事が日食だった。神や王の象徴である太陽が隠れるため、権力者にとって日食は不吉の象徴だった。4000年以上も前に、日食の予報を怠ったとして皇帝の怒りを買った天文官が死罪になっているくらい、日食の予測は大切な仕事だったのだ。フラック王国・西ローマ帝国を継承したルイ?世にいたっては、日食恐怖症。810年と813年に皆既日食が起きたあとの814年に父親のシャルルマーニュが亡くなったので、日食は、死の前兆だと思い込んでいたのだ。彼の復位6年後の840年に皆既日食が起きると、ルイは自分の番がきたんだと恐れおののき、1ヵ月後には死んでしまった。その後、彼の3人の息子たちの争いが起き、帝国は三つに分割された。これが、フランスやドイツの起源だといわれている。ルイ?世が日食をそれほどまでに怖がらなければ、今のヨーロッパの形はなかったかもしれないのだ。皆既日食に関する記述は日本でも昔からある。例えば『古事記』のなかでは、太陽の神・天照大神が弟のスサノオノミコトの乱行に腹を立てて、岩屋に閉じこもってしまうという記述がある。これが、いわゆる「日食」をさすといわれている。太陽の女神が隠れたので世の中は闇。災いが続発した。困った神々は天照大神を岩屋から連れ出すために宴会を始めた。その楽しそうな声に天照大神が岩戸を少々開けて外をチェック。そこをすかさず、怪力の神が天照大神を外へ引っ張り出したので、世の中に再び光が戻ったという話だ。「天照大神が姿を現す場面の描写は、皆既状態が終わるときに見えるダイヤモンドリングを思わせる」という専門家もいるくらい、今やこの話は日食にたとえられることが多い。ちなみに、628年、日本書記に、「日、蝕え尽きたること有り」と記載されているものが、日本に残る最古の日食の記録といわれている。日食は、古来から世界中で関心の高い自然現象だったのだ。